歳を重ねると、田舎に行きたくなる。
ご多分に漏れず、私もその一人になっていました。
そもそも、私は元から都会という場所があまり得意ではありませんでした。何より人混みが嫌いだったのです。しかし、自分が選んだ「LSI設計エンジニア」という最先端の仕事は、そのほとんどが都会にしか存在しない職種でした。
そのため、就職を機に渋々と都会での生活をスタートさせることになります。
朝は凄まじい満員電車に揺られて8時半に出社し、夜の22時に退社。帰りもまた、酔っ払いの入り混じった満員電車で消耗する日々。そんな毎日を繰り返していました。
満員電車が嫌すぎて、家賃が高くても会社のすぐ近くに住んでみたり、逆に遠くても始発駅を狙って住んでみたりと、本当にさまざまな試行錯誤を重ねてきました。それでも結局、あの満員電車と人混みという環境にだけは、未だに慣れることができませんでした。
50代を迎えて見つめ直した「残りの人生」
転機が訪れたのは50歳を過ぎた頃です。長年勤めた会社を早期退職し、いくつかの企業を経たのち、現在はフリーランスとして働いています。
職種の特性上、完全リモートワークというわけにはいかないため今も通勤はしていますが、現在は車通勤。渋滞にはまることはあっても、あの満員電車とは無縁の穏やかな移動時間を送れるようになりました。
そして50歳を超えたあたりから、自分の「残りの人生」について、よりリアルにカウントダウンを意識するようになったのです。
私の祖父は76歳、父は75歳で亡くなりました。それを我が身に置き換えて考えると、自分に残された時間は「あと約20年」。さらに、心身ともに元気で動ける「健康寿命」の観点でいえば、一体あと何年残されているのだろうか、と。
そう考えたとき、「まだ元気なうちに、本当にやりたかったことを形にしておこう」という思いが強くなりました。それが、今まさに計画を進めている高原での暮らしです。
「普通の田舎」ではなく「管理別荘地」という最適解
ただ、勘違いしてほしくないのは、私は決して「田舎という場所そのもの」が盲目的に好きなわけではない、ということです。
私が求めているのは、ただ静かな場所で時間に追われずのんびりと暮らし、庭で愛犬たちがのびのびと走り回る姿を眺めていたい。ただそれだけです。

都会ではまず不可能なこの理想ですが、かといって普通の「田舎の住宅地」ならどこでも良いかというと、決してそうではありません。
自分の人生でそこまでの田舎に住んだことが無いので不安だらけです。
そんな私が、新参者としてその土地の古いコミュニティに上手く溶け込めるだろうか?
田舎でよく聞く自治会や消防団の強制的な活動に追われるのではないだろうか?
せっかく静かな暮らしを求めて移住するのに、そうした人間関係や地域特有の義務に自分の貴重な「残りの時間」を浪費されたくはありませんでした。
都会の喧騒からは逃れたいけれど、田舎特有の濃すぎる人間関係にも縛られたくない。
この二つの条件をロジカルに突き詰めた結果、導き出した究極の選択肢が「管理別荘地」でした。
インフラや環境は管理会社がビジネスとして割り切って維持してくれ、ほどよい距離感が保たれている場所。
身体が元気なうちはこの大自然とこだわりの家で愛犬たちと最高の時間を過ごし、もし将来、自分の力で暮らすのが難しくなったらその時は施設へ移ればいい。それくらいの潔さを持って、私たちは蓼科での新しい家造りに挑戦しています。


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